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複数の人格を持つということ

by kikoko

自分の中に、自分ではない自分が存在している感覚を時々感じます。

それを仮に別人格、"Slim Shady"と呼ぶことにしましょう。
この名前はアメリカの有名なラッパー、エミネムが彼自身の別人格のことをそう呼んでいることから取ってきました。


どうやら、自分の中には確実に認識しているだけでも2つ以上は別の自分がいると思っています。

一つは女性性としての自分。
といっても自分は男性なので、別人格として女性性が同居しているのはあながち不思議じゃないかもしれませんが。。

もうひとつは、自分自身。つまり自分自身です。別人格が同時にいるという観点から、この存在も人格の一つとしてカウントしていいのじゃないかと思って書きました。

最後はよそ行きの自分。
つまり他人と接すること、交流することを前提とした考え方・行動をしようとする人格ですね。

3つの人格が自分の中にいるって感じです。
正直頭の中は整然とはしてません。常に誰が「kikoko」としてのフロントをしているかを争っている感覚があります。明確にする必要があるとかないとか、そういったことに対する考え方も含めて各人格がバラバラの意見を持っています。
現に、今この文章を打っているのが誰なのかと問われたら答えに窮するものがありますし、もしかしたら先述の3つの人格以外の自分が書いている可能性も否定できません。


どうしてこんなことを書くのかというお話しですが、どうも最近、自分が何に楽しさを覚えて何に悲しさを感じて何に喜びを感じて何に寂しさを感じるのか、これがかなり曖昧になってきているからです。

他人にとっちゃどうでもいい話ですが、そうです。
これは自分以外にとってはどうでもいい話です。


話を本題へ戻すと、

「自分」というものの定義ができないのが現状抱えている悩みです。

そんなの誰だってそうだろという意見は置いておきます。


悩み、と感じるようになったのは、その自分の中にいる人格が自分の別の人格にネガティブな結果をもたらす形で干渉するようになってきたからです。

たとえば、女性性としての人格が、そのままの自分自身という人格に対してこう言うのです。

「なんで女の私の意見を少しは取り入れてくれないの?」
「地下鉄乗ってるときいっつも言ってるでしょ、ファッションとしての幅は男性より女性の方が多いって。もっと女らしい格好に近づいた方が良いって。」
「ってかなんで男見たときに感じるエロさに対する興奮をなかったことにしようとしてんの?」

一例ですが、自分自身という人格はこれに対して

『自分は男だからそんなの無理に決まってる』

の一言で片付けることが多いわけです。



少し話は逸れますが、物事の好き嫌いは大きく各人格に寄っていると感じることがあります。

たとえば、かわいいものが大好きです。
それは女性性としての人格の好みが大きく反映されている。

そのままの自分、よそ行きの自分はかわいいものが好きというより奇抜なものを好んでいるからです。

他の例で言えば、自分にとっての異性、女性に対しても、

女性性の人格は好きというより同性として女性を見ています。
当たり前っちゃあ当たり前かもしれません。
そのままの自分自身の人格は、女性がひどく苦手です。
話をしようものなら背中から汗がひどく出るし、顔もまともに見れないし、相槌を打つので精一杯という状態になってしまいます。
よそ行きの自分の人格は女性と接するのが好きです。
彼女が欲しい、と望むとき、それは間違いなくこの人格が大きく関わってると言えます。


なんでこんなことが言えるのかということに関してですが、

これは人格のスイッチが上手くいかないことがあるからです。

普段(といっても明確にどんなときが普段と言えるのかは分かりませんが...)は
無意識に各人格が「kikoko」のフロントをコロコロ入れ替わりながら担当しています。

だから先述のような、人格同士のいざこざが起きるわけなのですが、
上手くいかない場合があるのです。

たとえば、仕事に最大限集中している状態のとき。
このとき、自分は会社のデスクにいます。基本的に社内には自分をおいて他にひとがいないので、ひとりでずっと仕事をしているわけです。(基本的に電話連絡がメイン)
そのときに「kikoko」のフロントを対応しているのは、そのままの自分自身の人格なのです。

そして、その最大限集中している中で、突然来客として保険の営業が来たりしたとします。
そのときにその人が女性だったりすると、あらタイヘン。な状態になってしまうわけです。

そのままの自分自身の人格は女性が苦手です。
しゃべることもままなりません。
結果、相手が話すだけ話して、何を言ってるのかも覚えてられず、汗だけ無駄にかいてしまうんですね。



で、話を戻します。

最近、人格どうしでいざこざが起きるということなのですが、

これをどうにかしたくてたまらないのです。

特に、女性性としての人格。
この人格がやっかいで仕方がありません。

ここで初めて「ぼく」という一人称を使わせていただきますが、
ぼくは、普段自分のことを「ぼく」と呼びます。


これ、確立したのは中学生のときからなのですが、どうもこのときから女性性としての人格がぼくの中にいたとしか思えないのです。
なぜなら、中学1年生の体育祭のときのことですが、3年生の先輩にときめいてしまったからです。

それ自体は良いのですが、何にときめいたのかというのが重要で、体育祭の練習でずっと体操服を着ているのを見慣れてしまったせいか、制服姿の男子の先輩を見た瞬間、「かっこいい...」となったわけです。

まさしく、女性を見て一目惚れしたときと同じ感覚、それ以上の痺れのようなものを感じたのを今でも忘れられません。
幸か不幸か、ぼくはそのときから、かわいいものを集め始めるという行動をずっと取り続けています。
同級生からオカマ、女の子みたい、と言われるのが当たり前になってきたころには、もうすっかり女性性としての人格がぼくの中に根付いていたんだと思います。

別にそれを言われる事自体苦ではありませんでした。
このことを鑑みるに、もうその時点でよそ行きの自分としての人格が居たのでしょう。女の子と話す機会がたくさんできたわけですから、それはもう楽しくて仕方がありませんでしたし。
というか、もしかしたら、そのままの自分自身という人格自体が完全に隠れてしまってたとも言えるかもしれません。


「kikoko」という人間への評価は人によってかなり異なります。
ある人から見れば「とんでもないコミュ障」だし、「ある人から見ればコミュ力の高さがやばい人」だし、またある人から見れば、「あなたの姿は素なのかわざとなのか全く分からない」だし。

これはフロントがコロコロ変わってるからってことなんでしょうが、、


別にコミュ力が無くなっても良いから、女性性としての人格が無くせるなら無くしたいというのがぼくの叫びなのです。

だってスカートなんて履けないもん。化粧だってできないし、したって似合わないことは高校のときに嫌ってほど思い知った。男を好きになんてなりたくないし、正直、竹内涼真が自分の中でキテる事自体認めたくない。そんなこと考えるスペースを全て好きな女優とかに充てたいわ、実際。

友だちのこと、未だにそういう目でしか見れないって人も中にはいて、でもとっても仲いいし、関係は壊したくないからそういうことを匂わせたことは一度もないけど。だからそんな目で男の友だちを見ること自体が気持ち悪くて仕方がない。仕方がないのに見てしまう自分がいる。

ハッキリ言ってホモだって言われるのはどうでもいいが、好きな女の子からその言葉を面と向かって言われたときはさすがに切れてしまった。
ある意味自分を自分で否定してるわけなんだけど、本当のぼくは、ホモなんかじゃない、これは女性性としての人格がいるからなんだってね。

とにかく、自分で自分を整理できてないし、どうやったらそれができるのかも分かんない。
放棄してるって表現の方が適切かもしれない。


話のまとめ方が最近全然分からないからここで切るけど、
表現者でもないのに人格が複数あったって全然役に立たないってひどく実感しています。

カウンセリングを受けるのは怖いので、これからもこの謎な精神なまま生活するしかないんだろうなと思うと、涙が出るくらい嫌なんですね。涙が出るは言い過ぎました。単に鬱に近くなるだけです。


おわり


kikoko
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