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アイデンティティとしての男

by kikoko

性別。

幼いころから幾度となく目にしては、自分のアイデンティティが何であるかを
無意識的に刷り込まれてきた。

ピクトグラムを見るだけで、それが男であるか女であるかを、
直感的に判断するレベルには何度も見てきた。


性別はアイデンティティになり得るか。

いつからか、そんなことを考えるようになっていた。
「ぼく」。自分は自分をそう呼ぶ。物心ついた頃からずっとだ。

ぼくは、剣道をやっていた。

部活も含めて12年間活動を続けた。

大学生になってからはサークルに入った。


ぼくには剣道部としての自分、サークルメンバーとしての自分、そして一家の長男としての自分。
などなど、自分を象徴するアイデンティティがある。

だけど、ぼくが男であることはアイデンティティとしてカウントできるのだろうか。
ぼくは、男であることを選んだわけではない。

生まれたそのときから、ぼくは男だった。
そして、それはこれからもずっと続く。
自分がそれを望んでいるからだ。


男に「なった」わけでも、男で「あった」わけでも、男を「選んだ」わけでもない。

自分が、「男」という集合体と合体した感じ。


男であることを、幼少期から刷り込まれてきたように感じる。

トイレは別々。
ピクトグラムでは矢印が上に向いている方を選ぶ。
重い物を持つのは男子と言われる。
男なら泣くなと言われる。
女子を泣かせてはいけないと言われる。
レディファースト。
青色の上履き。
黒色のランドセル。
運動会のプログラムに上半身裸で演技する競技がある。
制服。
プールの授業になると上半身裸。
家を継ぐのは長男だからと言われる。

身体的な特徴うんぬんより、意識が男として仕向けられていく過程のようで。


当然、身体的特徴は大きい。
望む、望まないに関わらず男性が女性的な身体を手に入れるのは困難だ。

声質も、肉付きも、体躯も。
生理がくるのも女性特有。

体験したくても、分かりたくても、不可能な領域が、たしかに両者にはある。


何がいいたいんだろう、自分な。


kikoko
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